技術と覚悟と献身
自分は高潔な人間か?
自分を高い水準に保ち、生きているか。自分は最高の仕事をしていると自負できるか。
自分自身のどんな行動も心の底から誇りに思えるか。
現実としっかり向かい合って、真摯に応えることが誠実な行いなんだ。
今回のブログのテーマは高潔に気高く生きることについて纏めていく。
自分の価値を低く見積もってはいけない
自分が最高の仕事をしているという自覚を持つこと。
そして自分は価値あるものを提供できる人間だと信じてそれに見合う努力をすること。
"自分の価値を低く見せるように振る舞ってはいけません。高い価値があると主張し続け、実際にそれに見合う価値を出し続けなさい。
自分の価値を徒に広範に主張してはいけません。出来ないことや知らないことは素直に認め、自分がどこで価値を出すかを明示しなさい。
正しく主張することの重圧から逃げてはいけません。潔く受け止めた先に成長があります。”
努力の意味
「現時点で未成熟だとしても必ずより良い状態に至るのだ」という決意を持っておくことで、たとえ傷ついてもそれを受容し乗り越えることはできると思っています。
故に、大事なのはそうした決意の源泉となる目的意識を育てることであり、更にその前提となる価値観を育むことではないか。
気高く生きるために、自分自身を誇りに思うために努力する。
技術と覚悟と献身。いずれその積み重ねが実績や経歴になる。積み重ねが自分を作る。
大切な仲間、環境
相応しい相手と一緒に歩むためには自分自身が気高く正しく生きようとし続けることに結局行き着く。
自分の価値を低く見積もらないとか、そこから敷衍して、相手の人格と人生を同等に尊いものと想像できるとか、そういったことを大切にできると良い仲間や環境に恵まれると思う。
十分に洗練された正論を、真摯且つ誠実に伝えているのであれば、受け取れないとしたらそれは相手の責任だし、我々が人生の時間を費やすに相応しい人であれば、いつかその正論を受け取ってくれて信頼関係を築くことができる。
相手との関係を失って自分の利益を損なうような内容を、相手にとって本当に必要なことだから、と正しく伝えようと最善を尽くすことが大切なのだと思う。
自分だったらどんな相手を信頼するか考えてみると、有能であるかとか有用であるかとかあまり関係がない。誠実さは大切な物を教えてくれる。
動機の違い。高潔さ≠優秀さ
「自分の優秀さを示す」みたいな動機で仕事してると、成果物へのフィードバックからのダメージが大き過ぎて、現実に直視できなくなる危険がある。
色々と理由を付けて「忙しかったから」「必要な情報が与えられてなかったから」等、外部に責任を押し付けてしまう。
逆に仕事の目的が内面化できていると、大義の下、失敗を受け止めて次に進むことができる。
気に入られた/可愛がられた成功体験を引き摺ってしまうと危険だと思っている。本来的な価値は正論(≠理想論)を説くことにあり、嫌われないことは正論を現実化する手段に過ぎないが、主従が逆転すると正論を説くことを関係性悪化リスクと認識して避けるようになる。
自分という存在が影響を与える環境の構築と拡大を目的とし、自分が取り組んだことが生きた痕跡となり、そしてそれが他人に影響していく些細な連鎖を紡ぎたいという当初の目的のもと、それに見合う努力をして生きていく。