昔の自分との対話201104①
2011年4月①
飼い犬として鎖でつながれて、御主人様から餌をもらう人生と、野良犬として自分で餌を探して世界中どこでもいける人生とどっちが良いんだろうね。
昔の自分に言いたいこと。
世の中には
1正しいこと
2間違ったことと
3正しいと見做されていること
4間違っていると見做されることがあって、
社会性があるとは「主流が正しいと見做していること」に賛成して受け入れることだ。そうしないと餌はもらえない。
すべきこととは?
「べき論」を持たないこと。「べき論」を持つと現実への見方が「べき論」に引きずられる。
べき論は頭の悪い暇人や論じるだけで金になる評論家や学者や政治家や官僚や日銀にお任せして、こっちはどうやって儲けるかだけ考えよう。
どっちに転んでも儲けるように準備して流れを読む。政府、日銀、役人に期待すべからず。
「べき」を実行する力もない人間が「べき論」をいくら論じても時間の無駄。
べき論よりも、政府日銀はどういう政策を繰り出してくるかを知るために、政府日銀の思考、行動、生態を知ることのほうが俺には大切。その意味でマクロ論争の本より元官僚とかの暴露本が役立つこと多し。
最善策
全体に望ましい最適政策があったとしても政府、日銀、経済官庁の利害関係によってほぼ選択されない。無能でなくそういう仕組み。これは日本に限らない。ダンテの神曲で地獄の入り口に「この門を通るものすべての希望を捨てよ」とあるが、日本のお役所や日銀にもそういう看板がかかってる。見えないけど
チャンス
どんなときでもチャンスはある。堤康次郎がどさくさにまぎれて焼け野原の土地を不法占拠して、財産をさらに膨らませたという噂があるようにどんな悲劇にも見方を変えれば必ずチャンスがある。
自由
金や権力のない人間に自由はない。自由は高級品だ。金で買えるものの最も重要なのが自由。金や権力がなければ他人に支配されたり、おもねって生きていくしかない。
言いたいことを言えない、やりたいことをやれない、つまり自由がないのは金と権力が無いから。時間、金、権力、気力、健康が人生の源泉か。権力はともかく、金とかは何とかなる。金も溜まれば権力も買える。
金は自由の源泉。その金を浪費する人間はいつまでたっても奴隷のままだ。アメリカの奴隷制でも奴隷にわずかな賃金が支払われていて、その賃金を貯めて自分自身を買い戻して脱奴隷したという例もある。この場合は比喩でなく本当に金は自由の源泉で、自由が買えたわけだ。
読書
「デフレと超円高」
「なぜ金融リスク管理はうまくいかないのか」
「官愚の国」
「さらば財務省」
「バランスシートで考えれば、世界のしくみが分かる」
「偽りの政権交代」
「日本国の正体 政治家・官僚・メディア」
「官僚との死闘七〇〇日」
いわゆる霞ヶ関本が多いのは官僚の意思決定とかインセンティブについて考えたいからです。もっと真面目な(理論的な)の読めといわれそうだけどもこういう生々しいのを先に読んでおこうかと。
一応、今回は官僚の意思決定に絞るけど、後で日銀の意思決定や思考も探らなくてはね。
私利私欲
就活のときは雇ってもらえるための言葉を選ぶ。学者の卵は自分の将来ポストを左右する学者の言説や業績にケチつけにくい。生きていくためです。大雑把に言えば政治家も官僚もマスコミの人も東電の人も、その延長上で振舞っている。これは派を問わず経済学的思考の大前提。でもいまさら「経済学的思考の大前提」とかいうのは自分の場合は後知恵。最初はこの大災害(3・11)だし政府・東電・マスコミは利害を超えてマシな対応できるのではないかと根拠なく期待してた。結果、大災害でも組織の振る舞いはそう変わらないことがよくわかってしまった。社会科学徒として修行足りない。
結局、役所にしろ大企業にしろ、意思決定は好き嫌いだったり、私欲だったりするんだよね……
最適な選択は大抵されない。真面目な人ほど弾かれる。