母の生態
母は元々仏教徒で、私が生まれる前から毎日お祈りを捧げる程度の信仰心の持ち主でした。
そのくらいの信仰心ならば人生の助けにもなるし良いのかなと思っていましたが、
近頃はスピリチュアル系に毎月数十万円も使っているようだと先日判明した。
お前!!!私が幼少の頃に浮気をして離婚して家庭を捨てて、私の大切な時期に何もしなかったお前が!!!私に掛ける金額よりも大きな額を他人に渡している!!
さらには離婚後ほどなくして再婚してできた子供には私にはしなかった愛情を注ぎ、運動会やらPTAやら参加しているだって???
私には何もしなかったのに!!!
それでいて口では「あなたを一番大切に思っている」と。
私が骨折した際は「セミナーに出て治療してもらえばその場で治るから、その人はガンも治せる人なのよ」と、本当に信じて言葉を発してくる。
スピリチュアルのセミナーでは結界やら治療などを教えてくれるらしい。
それを学ぶことが家族の為なんだと。
働いて金を稼いで来い。
家族を助けるのはスピリチュアルじゃない。金だ。
母は結婚後一度も働いていない。常識も知識も行動も何もかも世間の発想とズレている。社会参加して矯正されてきてほしい。
日本人の宗教観
宗教は無根拠な信念の一形態にすぎない。宗教とは無縁のつもりでも無根拠な信念を保持している人は多い。神なき信仰である。
無神論者であっても、おそらく何かを意識せずに信仰している。宗教的信仰は人間の信念の一形態にすぎず、本当はもっと普遍的なのだろう。
無宗教(と思っている)の人は多いけれど、公平とか公正とか道徳とか倫理とか誠実とかそういう妄想を信じている人間は多い。世の中は損得、利害関係で動いている。そもそも自然に公正も公平もない。ライオンはシマウマを食うし、蜘蛛は蝶を食うし、天候もそうだし、公平も公正もない。ないものを有ると信じるのは病気だ。
傲慢にも自分は信仰など持ってないと考える人間は少しメタ認知が足りない。
信仰心を持つことの大切さ
宗教、信仰の力は大きいのだ。これらを拠り所に宣教師ははるか僻地にまで布教活動をしたりする原動力になった。こんな危険なことは普通の発想ではできない。信仰が情熱を駆り立てる。
自分は神に愛されてるとか、守られているとか、使命があるとか、神が味方しているとかの信仰心は普通ではありえないような状況を引き起こす力がある。
サバイバーズ・クラブからの引用では
「たとえどんな経験をしていても、信仰はその人に希望を与え、良い効果が生まれる。信仰は人生の意味と目的の感覚を与え、想像を絶するほどの逆境も克服するのに役立つ。私は神に愛されている。神は私の人生に計画を与えている。神は決して私を一人にしないし、困難を乗り越える力をくださると心から信じていれば、不可能なことは殆ど無い。信仰と宗教は『他のものには決して見られないような力』を人に与える」
人間が進化の過程で宗教を手に入れた理由がなんとなくわかる。
信仰を持つことは人生の支えになるのだ。
日常での宗教
常識人として生きるのはとても大切です。
例えばデカルトは懐疑主義者だが、なんでも懐疑でなく哲学的な命題には懐疑主義を持ち込むが、宗教や慣習といった日常的なことは常識に従うというスタイルを持っていた。当時は懐疑主義者は無神論を疑われるので保身もあるのだろうが、こういう常識人としての振る舞いは大切である。
最後に
母は私を何も認めない。認めるのは自分より位の高い魂を持つ者の言動のみである。
偉い人が言っているから神を信じるという論理と学校で習ったから地動説で地球は丸いと考えるという論理は同じ。どちらも権威による情報提供を素直に受け取っているだけ。
つまり、詐欺師が立派な身だしなみをして、ハロー効果を逆手にとって母を信用させているのです(詐欺師、営業マン、スケコマシ、宗教家は最も優れた心理学実践者である)。
そしてその悪影響が今も私に降り注ぎ続けている。